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東日本大震災・当日・仙台

3月11日 地震当日
 午前11時友人と駅で待ち合わせた。以前ハングル教室で一緒だった友人を交えフレンチでランチ
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(鶏の何とかという料理にデザート、パン、サラダ、スープ)
いつもの楽しい会話…韓国へ一緒に行きたいねぇと話がまとまったが、私は仕事へ行く為バス停へ、友人二人はJTBへパンフレットを取りに行った。
 仙台駅発14時25分、若林区のバス亭到着14時42~3分頃。
何故だか鳥(すずめかな?)がバタバタと騒がしく、トンビがいつもより低空で飛んでいる。??と思いながら歩く、職場のドアが目の前になった時地面が揺れ始めた。14時46分ドアを開きノブにしがみついた。目の前でアクアクララの水が倒れ・額や絵皿が落ちていく風景を見ながら、ただただ凍り付いていた。職場の男性が「外へ出たほうがいい」と飛び出して来た。駐車場の隅っこで、揺れが収まるのを必死で待った。ビルの上のアンテナが今にも落ちそうにユラユラ揺れている。落ちてきたら又別な所へ逃げようと、そのアンテナだけを見ていた。収まってきたので職場へ入ったが、割れたものや水が散らばり、ざっとだけ片付け始めたが余震が続く、その度に外へ逃げる、中へ入るの繰り返しをしていた。外へ逃げている時に雪が激しく降り始めた。地が暴れ…天が怒り…現実の世界と思われない。それなのに、職場の前で貸しビルを建設中のシャベルカーが作業を止めず動いている。まるで、アニメの世界のようだ。隣りの酒屋さんの店員が店舗の外で呆然と立っていた。
 16時頃、電気も止まったのでそれぞれ帰ろうと言う事になったがnoboさんに携帯を幾度かけても、つながらない。職場へ行けば会えるかもと思ったが、途中ですれ違うかもしれないのでどうして良いか分からない。携帯をかけ続けていたら、奇跡的に電話が通じた。待ち合わせの場所を決め、そこへ歩いて行くことにした。電話が通じたのは、その1回だけだった。後は何度かけても、私の携帯は通じなかった。仙台駅の東口迄、普通に歩けば30分程で行ける筈だが、途中で方向を見失って大分時間がかかってしまった。信号の無い広い通りを渡るのは、怖かった…手を挙げて右左、車が止まるのを確認してビクビク渡った。途中、ブロック塀が壊れていたり、車の上に瓦礫が落ちていたり、ビルの外装が崩れているのを見えた。
 遅れてついた待ち合わせの場所、noboさんが待っていた。必死に保っていた心が、ほっとするのを感じた。noboさんの会社の車で家迄送ってもらう事になった。信号が止まった道をノロノロと譲り合いながら進む。時間がどれくらいかかったか分からないが、外が真っ暗になった頃に自宅近くの踏み切りまで着いた。電車は通ってないが、踏み切りの遮断機は下りたままだった。踏み切り前で車から降ろしてもらい歩いた。車で送ってもらわなければ、一体何時自宅に着いたのだろう?配慮してくれた会社の皆さんに感謝の言葉しかない。一緒に暮らしている次男と携帯の電池が切れる寸前に連絡がついたので、それだけはひと安心だった。
 自宅は真っ暗で注意しながら懐中電灯を捜す、その灯りを頼りに食べ物を捜すが火を通さずに食べられるのはロールパン3個しかなかった。ロールパンに冷蔵庫のロースハムをはさみ1個ずつ食べた。断水はしていなかったので水は飲めたしトイレも大丈夫だったが、暖房の無い家は寒くって寒くって、時計を見たら午後8時くらいだがベットに潜り込んで暖をとるしかない。どれくらいの被害かは詳しくは分からず、地震当日はそうして終わった。

 
by Myself_2 | 2011-03-17 18:23 | Comments(0)
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